前回に引き続き、
海外駐在になる前のことを今回も読み切り5分程度で
まとめていこうと思います
暗黒期を越えて春を迎えた僕はかつての営業部に戻りました
うつ病寸前の30代。かつての営業職に戻り元気とやる気を取り戻す
かつての営業職に出戻り人事。歴史変える成績残すんや!
うちの会社はボブサップだ
「・・?(´・ω・`)」
”でかい。まあでかいけど大したことない”
とりあえずタックル。前向いてダッシュ、それだけ
ボブサップはそれでいいかもしれないが会社としては終わっている
他の会社はわかんないけどうちの会社は昔いた部署には戻ってくることはまずない
事例はないけど部署が戻る=ドロップアウト=あいつは終わったみたいな空気
そんな中会社初の「戻り人事」を通達された
「まじか、結構きついやんそれ」
言われて秒で思った
でもやるしかない
むしろ歴史変えたるわ!
自分の成績関係なくあらゆることでダントツの結果出したる!
そして再び営業コンサルタントの職へと戻った
営業職でやる気復活!後輩の育成こそ中堅世代の存在価値だ
10年前に比べてうちの会社もでかくなった
全国の有名大学や海外の有名大学の学生もたくさん入社してくる
スーツなんかめっちゃおしゃれ!
そして若い子たちは頭が賢い!!切れる!
1言って3も4も5も理解する
彼らのguriguraおじさんの介護のおかげもあって
ぼくは営業成績で部署No.1に返り咲いた。それは彼らネクストジェネレーションたちのおかげ
そんな僕がこれがおれの戻り人事の本当の存在価値だと思ったことがある
『後輩の育成』
結論、この戻り人事、
早くもっとガンガンやれよってくらい良い制度だった
『中堅世代とルーキーの融合』がめっちゃいい後輩の育成チャンスになったのだ
今の若い社員たち、
すごいドライ
それは個人のことだから言わない
問題はそこじゃない、問題は「助け合いがない」がなかったのだ
思い起こす2009年の春
ぼくの1年目は絶望的に終わっていた
”作用でございますか”を
”作用でござるか”と言ってしまった
そんな落ち武者を立派な営業マンに変えてくれたのは当時の先輩に他ならない
濡れに濡れたウェットな先輩との人間関係
電話から往訪、資料作りから何までそれはもうウェットに寄り添ってくれた
その『育成に必要なウェットな人間関係』が無くなっていた
変わって充実していたのが業務管理ツールのセールスフォースやtableau
会社ってそういうのじゃねえだろ!!
「悩んでるなと思う人には寄り添い」
「残業をしていたら深夜までだって付き合う」
「できるまで一緒にやる」
「諦めかけたら励ます」
そんなことを2ヶ月続けた結果
わがチームは全国で営業成績トップのエース部署となった!
営業職を天職だと思った矢先のシンガポールで異動。海外でジョブチェンジ
「ああ、戻ってきてよかったな」
うつ病だったことが嘘のような充実感と仕事ができる喜び
今は水を与えた干し椎茸みたいに元気
役員の人にはほんとに助けてもらった
これからもこの部署と後輩たちを育てていこう
そう思った
わずか1ヶ月後
同じ役員にこう言われるのだ
「お前、シンガポール行ってくんねえか」
「えっ?(´・ω・`)」
「おまえ広告の事業開発やれ」